徳寿宮は文禄・慶長の役の時に景福宮が焼失したため、宣祖が月山大君の家を臨時の宮殿として使い始め、名前を慶運宮と名付け、それ以後273年間宮殿の役割を果たしてきました。また高宗は、ここで国号を大韓帝国に変え皇帝に即位しました。開化以後、西欧列強の外交官や宣教師が、この一帯に集まったので徳寿宮では早くから近代文化を吸収しました。そのため徳寿宮では、伝統的な建築様式と西洋様式の石造殿が混合しているのです。当時の徳寿宮の広さは、今の貞洞と市庁前広場一帯を含む規模で約3倍の広さに達していました。そして高宗は日本の強い圧力よって王位から退き、王位を継いだ純宗が昌徳宮に移り、高宗の長寿を祈る意味で「徳寿宮」と名付けられました。
徳寿宮(トクスグン)
朝鮮王朝末期には日本、ロシアなどが、朝鮮国家の主権を奪おうとする激しい政治的争いが展開された場所として、1897年、第26代国王高宗は、ここで大韓帝国宣布をし、大韓帝国の皇帝となりました。1905年、この場所で伊藤博文が、朝鮮国家の外交権を奪う内容の「保護条約」を強制的に調印させました。 このとき、最後まで抵抗した第26代国王高宗は、1907年、日本によって強制退位させられてしまいます。1910年、ここで、日韓併合条約の調印が行われました。高宗は、1919年に亡くなるまで、悲痛な晩年をこの場所で過ごしました。近代以降に政治の中心となったため、他の王宮にはない西洋風建築物も建てられています。
大漢門(テハン厶ン)
大漢門は、現在、
徳寿宮の正門ではあるがもともとは徳寿宮の正門ではなく宮殿の東門でありました。本来の名前も今の大漢門でもなく大安門(テアンムン)呼ばれいましたが、1904年の大火災の後、1906年7月に再建された際に大漢門と名づけられ、以来事実上の徳寿宮の正門となりました。本来の徳寿宮の正門は仁化門(イナムン)であり、現在の中和門の前の所で、現在の大漢門も1960年代、大漢門前の太平路(テピョンノ)拡張工事にともない後ろに約14mずらされたのであります。
中和殿(チュンファジョン):宝物819号
中和殿はもともと1階建てだったわけではないですが、光武8年(1904年)に火災で焼失した後、1906年に1階建てに再建され、今に至っています。中和殿は高宗帝王が1897年にロシア公館から徳寿宮に移った後、在位中に朝会をする正殿として使用されていた所でもあります。中和殿の前には朝延会議やそのほかの儀式を行なう際、文武百官が地位によって立つところを記した品階石が左右に並べられています。大きくて幅の広い石の基壇は2段になっており、そのうえに築かれた建物は正面5間、側面4間の規模で王の即位式、家礼式、外国使臣の歓迎儀式、朝賀礼儀式など公式行事が行われた場所です。内部には皇帝が座る玉座があり、後ろには日月五獄屏風(イルウォロアッピョンプン)などが置かれています。また内部の天井には竜が刻まれていますが、王とは品格が異なる皇帝の権威を象徴しています。
昔御堂(ソゴダン)

朝鮮第14代王の宣祖(ソンジョ)が文禄慶長の役で義州の避難先から還都し、漢陽に戻って来てから16年間も暮らした場所として昔御堂の名前も「昔、王がいらした家」という意味合いが含まれています。
昔御堂は宮殿にある建物としては珍しく2階建ての飾りがない民間風の建築様式で彩色が施されてないのが特徴です。石造殿(ソクチョジョン)

石造殿は、大韓帝国の時代に外国からの使者を接見していたところで1900年に着工されましたが1905年に日本に主導権が渡り1910年に完成しました。静観軒とともに現在、徳寿宮の内に残っている西洋式建物として面積1,247坪の御影石でできた石造建物。建物の外観は19世紀初めにヨーロッパで流行した新古典主義様式をまねしたもので前面にある柱の上の部分はイオニア式で処理されており、室内はロココ風に裝飾されています。独立後には朝鮮半島の将来を論議するために開催された米ソ共同委員会の最初の予備会談が行われた会議場でしたが、現在では文化財庁宮中遺物博物館として使用されています。
昔にタイムスリップ
朝鮮時代守門将は、都を守る城郭にある門や景福宮や徳寿宮などの国王が生活する王宮の門を守る責任者でした。厳格な手順で守門将は勤務を交代することによって王室や国家を守っていました。そんな
守門将交代儀式を徳寿宮では、忠実に再現したものを見る事ができます。儀式の説明を
韓国語、
英語、
日本語、
中国語に通訳して話てくれるので安心して聞けます。まず、徳寿宮では、始まりの大太鼓の合図は横のブースで無料の韓服体験をした観光客の人の中から選ばれます。太鼓の合図でラッパ、チャルメラ、太鼓、シンバル、鐘を持った音楽隊の演奏に合わせて旗を持った守門将が入場して来、続いて音楽隊、最後に槍を持った守門将が入場してきて一旦整列します。ここからが交代の儀式のはじまりです。まず各守門将が軍号(暗号)でお互いの身分確認をし、王宮門の鍵が入ってる保管箱の引継ぎをします。その次に符信と言う王宮門開閉の証票を合わせて命令の真偽を確認する事と巡将牌と言われる守門将であることを表す身分確認用の牌を引き継ぎます。これで交代儀式は終わりです。このあと音楽隊の演奏に合わせて11時の公演のあとは、清渓川を通って普信閣まで行進し、15時半の公演のあとは世宗路を通って光化門広場まで行進して行きます。この守門将交代儀式は徳寿宮の休館日の月曜日を除き毎日
11時、
14時、
15時30分と
1日3回公演しています。但し、雨天時と酷暑時、酷寒時には休演になるので気をつけてくださいね。