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仁川・坡州・江華島

仁川・坡州・江華島の様々な観光地情報をご紹介します。

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チョジジン

草芝鎮(江華島)

Chojijin

 仁川・坡州・江華島


基本情報

観光スポット名
草芝鎮(江華島)
チョジジン
초지진(강화도)
Chojijin

アクセス

住所
仁川廣域市 江華郡 吉祥面 草芝里624
인천 강화군 길상면 초지리624

詳細情報

草芝鎮は海上から侵入する外的を防ぐために、孝宗7年(1656)に建築した要塞です。鎮内には草芝墩台を含め艦船3隻と40門余りの大砲を保有していました。高宗3年(1866)9月天主教弾圧を口実に侵入したフランスの極東艦隊(ローズ)、高宗8年(1876)4月に通商を強要し、侵入したアメリカ亜細亜艦隊(ロジャース)、高宗12年(1875)8月侵攻した雲楊号(日本軍艦)と熾烈な激戦を繰り広げた場所で、近世の侵攻に粘り強く戦った激戦地のひとつです。結局、日本軍艦雲楊号の侵攻は高宗13年(1876)強い圧力に負け日朝修好条約(丙子修好条約)を結び、仁川・元山(北朝鮮)・釜山を開港したために、韓国の主権を失ってしまったのです。

江華島の南東に位置

草芝鎮(チョジジン)は江華島(カンファド)の南東に位置し、江華の関門である草芝大橋のたもとにあります。砲台があるのは、江華海峡望む沿岸の北から甲串墩台広城堡徳津鎮と続き一番南にあるのが草芝鎮です。草芝鎮に行くには、ソウルからは地下鉄2号線、新村駅から出ている3100番のバスに乗れば乗り換え無しで行くことができます。また、草芝鎮のある江華島は、韓国で5番目に大きな島で、小島を含める総面積は約408km²、人口は約7万人ほどです。江華島には、金浦から江華大橋、仁川から草芝大橋の2本の橋が繋がってます。韓国の河川のひとつである漢江の河口にあり、ソウルから北西に50kmのところに位置しています。島の北側は北朝鮮の黄海北道と面しており、島の北側の海沿いには北朝鮮を望める展望台があり、肉眼で北朝鮮を見ることができます。

日朝修好条約を結ぶきっかけになった場所

1871年(高宗8)4月23日、アメリカの海兵隊員450人が軍艦の砲撃の支援を受けて草地鎮に上陸しました。草芝鎮守備隊がアメリカの海兵隊を迎えて戦いましたが、武器の劣勢で敗北、最終的にアメリカ軍に占領されてしまいた。このとき鎮内にあった軍器庫·火薬庫·鎮舍などの軍事施設はアメリカ軍によってことごとく破壊されました。その時砲台に残っていた40門余りの大砲も、アメリカ軍によって破壊されたり江華海峡に落ちてしまいました。そして、その後1875年8月21日、日本の雲揚号が江華島の南東にある蘭芝島付近に停泊し、短艇を降ろし、淡水(飲料水)を探すという口実で草芝鎮砲台に接近してきました。これに草芝鎮守備隊が日本の艦艇に向かって砲撃を開始すると、雲楊号は艦砲で砲撃をして草芝鎮砲台は一斉に破壊され、江華島に侵入されました。その結果、日朝修好条約(丙子修好条約)を結ぶ事になったのです。その後、草芝鎮は閉鎖され、施設はすべて崩れて墩台の場所と城塞の基礎だけ残っていたものを1973年に草芝鎮の草芝墩台だけ復元されました。高さが4m程度で、長い方の幅が約100 mの楕円形で、この墩台には3箇所の砲座と銃座100個があり、そのほか朝鮮時代の大砲の1門が砲閣内に展示されています。今も砦や墩台の横にある松の木には、戦闘時に砲弾に当たった跡がそのまま残っており、当時アメリカそして日本とも対立して激しく戦った痕を、垣間見ることができます。




江華島の観光解説士・若月栄子さん


若月栄子さん

草芝鎮、いかがでしたか?日本も幕末に黒船がやって来て、西欧列強に開国を迫られた時は脅威だったでしょうが、お隣の国韓国でも同じ事が起こっていたのです。そんなことを詳しく解説してくれるのが観光解説士の若月栄子さんです。若月さんは奉仕活動の一環として観光解説士をなさってるそうで、日により草芝鎮江華平和展望台などを回って解説してくれるそうです。事前に江華郡文化観光課のホームページで申し込んでおけば無料で解説していただけます。ぜひ江華島に行くときは若月さんの解説を聞いて見てください。
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