基本情報
| 観光スポット名 |
草芝鎮(江華島)
チョジジン
초지진(강화도)
Chojijin
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アクセス
| 住所 |
仁川廣域市 江華郡 吉祥面 草芝里624
인천 강화군 길상면 초지리624
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詳細情報
草芝鎮は海上から侵入する外的を防ぐために、孝宗7年(1656)に建築した要塞です。鎮内には草芝墩台を含め艦船3隻と40門余りの大砲を保有していました。高宗3年(1866)9月天主教弾圧を口実に侵入したフランスの極東艦隊(ローズ)、高宗8年(1876)4月に通商を強要し、侵入したアメリカ亜細亜艦隊(ロジャース)、高宗12年(1875)8月侵攻した雲楊号(日本軍艦)と熾烈な激戦を繰り広げた場所で、近世の侵攻に粘り強く戦った激戦地のひとつです。結局、日本軍艦雲楊号の侵攻は高宗13年(1876)強い圧力に負け日朝修好条約(丙子修好条約)を結び、仁川・元山(北朝鮮)・釜山を開港したために、韓国の主権を失ってしまったのです。江華島の南東に位置![]() 日朝修好条約を結ぶきっかけになった場所1871年(高宗8)4月23日、アメリカの海兵隊員450人が軍艦の砲撃の支援を受けて草地鎮に上陸しました。草芝鎮守備隊がアメリカの海兵隊を迎えて戦いましたが、武器の劣勢で敗北、最終的にアメリカ軍に占領されてしまいた。このとき鎮内にあった軍器庫·火薬庫·鎮舍などの軍事施設はアメリカ軍によってことごとく破壊されました。その時砲台に残っていた40門余りの大砲も、アメリカ軍によって破壊されたり江華海峡に落ちてしまいました。そして、その後1875年8月21日、日本の雲揚号が江華島の南東にある蘭芝島付近に停泊し、短艇を降ろし、淡水(飲料水)を探すという口実で草芝鎮砲台に接近してきました。これに草芝鎮守備隊が日本の艦艇に向かって砲撃を開始すると、雲楊号は艦砲で砲撃をして草芝鎮砲台は一斉に破壊され、江華島に侵入されました。その結果、日朝修好条約(丙子修好条約)を結ぶ事になったのです。その後、草芝鎮は閉鎖され、施設はすべて崩れて墩台の場所と城塞の基礎だけ残っていたものを1973年に草芝鎮の草芝墩台だけ復元されました。高さが4m程度で、長い方の幅が約100 mの楕円形で、この墩台には3箇所の砲座と銃座100個があり、そのほか朝鮮時代の大砲の1門が砲閣内に展示されています。今も砦や墩台の横にある松の木には、戦闘時に砲弾に当たった跡がそのまま残っており、当時アメリカそして日本とも対立して激しく戦った痕を、垣間見ることができます。 江華島の観光解説士・若月栄子さん |

