基本情報
| 観光スポット名 |
伝燈寺(江華島)
チョンドゥンサ
전등사(강화도)
Jeondeungsa
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| 電話番号 | 032-937-0125 |
| ホームページ | http://www.jeondeungsa.org |
アクセス
| 住所 |
仁川広域市 江華郡 吉祥面635
인천 강화군 길상면 635
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詳細情報
伝燈寺(チョンドゥンサ)は現存する韓国最古の寺刹です。そして韓国に初めて仏教が伝わったのが372年、阿道という僧侶によって伝えられ、その阿道和尚が381年創建したのが伝燈寺です。この伝燈寺は、高句麗・小獣林王時代には“真宗寺”と呼れていましたが、1282年高麗の忠烈王の貞和王妃が仏殿に玉燈を献納して以来、伝燈寺と呼ぶようになりました。名前の由来は“仏法の燈火を伝える”というところから名付けられたと言います。 また伝燈寺は大雄殿と薬師殿をはじめとし、見どころの多い寺です。特に、大雄殿には他の寺では見られない珍しい彫刻があり、薬師殿は建物の中の彫刻が美しいことで有名です。また寺の庭には中国、宋の国の梵鐘があります。江華島の南東にある鼎足山に位置伝燈寺(チョンドゥンサ)は江華島の南東側にある鼎足山に位置していて、三朗城の中にあります。伝燈寺には、ソウルから地下鉄2号線、新村駅から出ている3000番のバスに乗り、江華バスターミナルで51番バスに乗り換えれば辿り着きます。伝燈寺のある江華島は韓国内の島では5番目に大きく、小島を含める総面積は約408km²、人口は約7万人ほどです。また、ソウルから約1時間、北西に50kmのところのに位置しています。江華島は干潟が有名で、そこで育ったプリップリのおいしいうなぎを食べさてくれるお店がずら~っと並んでいる“うなぎタウン”があるほどです。そのほか、赤カブ・高麗人参・花ござ、そして良質なよもぎが採れることでも有名です。 ![]() 三朗城三朗城は別名鼎足山とも言い、城が造られた年代は確かではないですが、壇君が三人の息子に城を造らせたところから三朗城と名付けられたということが、「高麗史」に記録されています。初めは土だけの土城だったのですが、三国時代になってその上に割り石を合わせて積んで頑丈な石城に建築されました。城内には伝燈寺はもちろん高麗時代には假闕、朝鮮時代には史庫と璿源譜閣がありました。また、丙寅洋擾(1866)の際、梁憲洙将軍がフランス軍を退け、ここで保管されていた「朝鮮王朝実録」と王室の家系図である「璿源譜」を守った場所でもあります。そして、その後1976年に南門である宗海楼を原形のまま復元しました。 伝説のある大雄宝殿大雄宝殿は朝鮮光海君13年(1621)に再び建てられた前面3間、側面3間の木造の建物です。また大雄殿には他の寺では見られない珍しい彫刻があります。軒下の裸体女人像と柱の上の人物彫刻がそうです。この人物彫刻には伝説があります。昔、大雄殿を建てる時に棟梁がふもと町の酒場の女性に心を奪われ、稼いだ金を女性に全部やったのに逃げられました。それで棟梁は病気になり、その仕返しに女性の裸の姿を徹夜で彫って、重い軒を支えさせたということです。 薬師殿の内部 軒下の裸体女人像 薬師殿薬師殿は全ての人の病気を治してくれる薬師如来を祭っているところで「大雄殿薬師殿改瓦重修記」に朝鮮高宗13年(1876)大雄殿と共に瓦を替えたという記録があるだけで、いつ建てたのかはっきりとわかりませんが、建築様式が大雄殿とよく似ているので、おそらく朝鮮中期の建物と推測されています。大きさは前面3間、側面2間で、屋根の形は八の字の形になっています。また、建物の内部の天井は井の字型に設計し、その周りは豪華な彫刻と彩色を加え、蓮の花や蔓の模様などが描かれています。 梵鐘伝燈寺の梵鐘は、中国の宋の国懐州・崇明寺から送られたもので、鐘には中国河南省百厳山崇明寺の鐘ということと、北宋の哲宗4年(1097)に鋳造されたことが刻まれています。第2次世界大戦の時、日本軍が兵器を作るために富平の兵器庁に持って行ったものを独立後、元の場所に戻したものです。 鼎足山史庫鼎足山史庫は朝鮮時代の実録を保管していた史庫です。壬辰倭乱(文禄・慶長の役)の以前には、実録を保管していた史庫は内史庫である春秋館と忠州・星州・全州の三つの外史庫がありましたが、壬辰倭乱(文禄・慶長の役)の時、全州の物以外全部焼失してしまいました。その後、壬辰倭乱の戦災から免れた全州史庫本が漢陽(ソウル)から近い江華に移され、宣祖39年(1606)4月に復印を完了し、原本は摩尼山史庫に保管され残りは春秋館・妙香山・太白山・五大山史庫に保管されました。摩尼山史庫は丙子胡乱の時の被害と孝宗4年(1653)史閣の焼失により、三朗城内に鼎足山史庫を建立し、そこに実録原本を保管しました。 梁憲洙勝戦碑丙寅洋擾(1866)の際、フランス軍を退けた梁憲洙将軍の功績を称える碑で、側面には“巡墲千総梁憲洙勝戦碑”と刻まれています。梁憲洙将軍は、憲宗14年(1848)武科に合格し、その後官職を経て、丙寅洋擾時フランス軍を撤退させるのに重要な役割をした人物です。勝戦碑には、梁憲洙将軍を始めとする367人の名前と当時の戦況を詳しく記録されています。大きさは全体の高さが181cm、碑の高さが163cm、幅が60cm、厚さが27cmとなっています。 三聖閣・冥府殿・香爐殿 |

