基本情報
| 観光スポット名 |
甲串墩台(江華島)
カッコットンデ
갑곶돈대(강화도)
Gapgotdondae
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アクセス
| 住所 |
仁川廣域市 江華郡 江華邑 龍井里1075-1
인천 강화군 강화읍 용정리1075-1
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詳細情報
甲串墩台(カッコットンデ)は高麗が、モンゴルの侵入によって1232年から1270年まで都を江華島に移したとき、モンゴルとの戦争で江華海峡を守った重要な要塞で、大砲8門が配置された砲台でした。そして朝鮮1644年、江華島の要衝地ごとに軍隊駐屯地を設置するときに済物鎮(チェムルジン)に所属する墩台として1679年に完成されました。また、丙寅洋擾(1866)の際フランス軍が攻撃をしてきた所で、極東艦隊ローズが600人の兵力を率いて江華城、文殊山城などを占領したとき最初に上陸した所で、その後フランス軍が鼎足山城の戦いで梁憲洙将軍の部隊に負けて退いた場所です。1977年遺跡に改めて昔の姿を蘇らせる補修復元がなされ、元の姿を取り戻しています。また、墩台の中に展示された大砲は朝鮮時代のもので、海を通して侵入する外敵の船舶を砲撃したものです。江華海峡を望む場所に位置![]() 碑石群碑石群は、朝鮮時代の官僚の業績を称える不忘碑、善政碑及び自然保護の一環で建てた禁標(立ち入り禁止の標)、三忠臣を称える三忠史跡碑など全部で67基が集まっています。自然保護の一環である禁標は粛宗29年(1703)江華留守府(高麗宮址)等の土地へ建てた物に、“家畜を野放しした者は笞刑(罪人の尻を叩く刑)100回、灰やごみを捨てる者は笞刑80回を叩く”と言う警告文が記されています。また、三忠史跡碑は仁祖14年(1636)清の国の軍士が朝鮮に侵入し、江華島を攻略しようと月串鎮で力戦奮闘したが、壮烈に戦死していった三忠臣、姜興業(カンフンオプ)・具元一(クウォンイル)・黄善身(ファンソンシン)を称えるために建てた碑石で、護国精神の魂がこもった重要な歴史的資料となっています。 甲串里のからたちの木江華島にからたちを植えるようになった理由は、外敵の侵入を防ぐ鉄条網と同じ役割をする棘があるため城壁の下にたくさん植えられたのです。このからたちは韓国人の先祖が、外敵の侵入に備えて植えた国土防衛の遺物として歴史性を持っています。また、からたちが育つことができる北限である江華島にあることから、天然記念物に指定され保護されています。甲串里のからたちの木の樹齢は約400年と推定され、木の大きさは、高さ4m、幹の周りは1mにもなります。 金属活字中興碑江華島は、世界で最初に金属活字を開発した所として知られています。その後、金属活字が中国、アラビア、ドイツなど世界にまで広がって行ったので、江華島は金属活字印刷術を中興発展させた故郷と言えます。その高麗人の優秀性と科学性を広く知らせる為に金属活字中興碑は建てられました。 利渉亭(イソプジョン)利渉亭は太祖7年(1398)江華府使、李晟(イソン)によって建てられました。そして長い時間が経ち、崩れて無くなっていたものを、1976年江華国防遺跡復元浄化事業の一環として再び建てられました。甲串墩台の中に八角の二層の亭子を建て「利渉亭」と書いた額を掛けました。 紅夷砲(ホンイポ)と仏狼機(プルランキ) |

