基本情報
| 観光スポット名 |
高麗宮址(江華島)
コリョグンジ
고려궁지(강화도)
Goryeogungji
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| 電話番号 | 032-930-7078 |
アクセス
| 住所 |
仁川広域市 江華郡 江華邑 官庁里743-1
인천 강화군 강화읍 관청리743-1
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詳細情報
高麗時代、高宗19年(1232)6月モンゴルからの侵略に抗戦するため崔瑀(チェウ)武人政権が、首都を松都(開城の古称)から天然の要塞である江華島に移しました。このとき移された宮殿跡が高麗宮址で、元宗11年(1270)5月開城に還都する時まで39年間使用されました。高麗宮址は松都の宮殿と同じように造られ、宮殿の裏山の名前も松岳と言い、王道の制度を忘れないようにしたと言います。1637年丙子胡乱の時、江華城が清の国に陥落されるなど、しばしば戦乱に見舞われながらも宮殿と城は、最後まで落とされることはなかったのです。現在、高麗宮址には朝鮮時代の建物と昇平門、江華留守府東軒、江華留守府吏房庁、鐘閣などが残っています。江華島の北東に位置高麗宮址(コリョグンジ)は、江華郡(カンファグン)江華邑(カンファウプ)官庁里(カンチョウリ)にあり、江華島の北東に位置しています。ソウルからは、地下鉄2号線、新村駅から出ている3000番のバスに乗り、江華バスターミナルで郡内バス10番バスに乗りかえれば行くことができます。また、高麗宮址のある江華島はソウルを流れている大河、漢江の河口にあり、ソウルから北西に50Kmのところに位置しています。島の北側は北朝鮮の黄海北道(ファンへブッド)と面しており、島の北の海沿いには北朝鮮を肉眼で見ることができる展望台があり、北朝鮮と隣り合わせの島と言うことが改めて感じます。また江華島には干潟が広がっていて、ここで育ったうなぎが有名で、その他高麗人参、赤カブ、よもぎ、花紋席(花ござ)などが特産物です。 ![]() 外奎章閣(ウェキュジャンガッ)江華留守府東軒(カンファユスブトンホン)朝鮮時代、江華の行政の責任者である留守が業務をした中心の建物で、今の郡庁と同じ役割をしていました。仁祖16年(1638)留守、金藎国(キムシングッ)が修理し、英祖45年(1769)留守、黄景源(ファンキョンウォン)が“顕允観(ヒョンユングァン)”と名付けましたが、現在は“明威軒(ミョンウィホン)”という扁額が掛けられています。この扁額は、英祖の時代の名筆である白下、尹淳(ユンスン)が書いたものです。また、建物の構造は前面8間、側面3間となっており、八の字屋根の単層の建物で、1977年江華重要国防遺跡の復元浄化事業で整備されました。 江華留守府吏房庁(カンファユスブイバンチョン)江華留守府吏房庁(カンファユスブイバンチョン)は、江華留守府の中にある6房(吏房、戸房、兵房、禮房、刑房、工房)の建物の中のひとつで、孝宗(ヒョジョン)5年(1654)に留守、鄭世規(チョンセキュ)が建て、正祖(チョンジョ)7年(1783)に留守、金魯鎮(キムノジン)が内部を直しました。建物の構造は一層の瓦葺で、コの字の形に立てられていて、屋根の側面は八の字の形になっています。 江華府銅鐘(カンファブドンジュン)朝鮮時代、江華城門の開ける時間と閉める時間を知らせる時に使用した鐘で、高さが198cm、鐘の一番下の直径は138cm、厚さが15cmとなっています。鐘楼は龍の模様に彫刻されており、韓国の鐘の特色である音筒かなく、鐘の中央にはふたつの帯が通っています。また肩の部分には花柄の乳廟台があり、その中には9個の蓮の花が入っています。下の部分の帯には花柄を入れ、漢文で書いた文字が浮き出ています。長い年月が経ち、1999年10月鐘に亀裂が入り、これ以上鐘が打てなくなり江華銅鐘を複製して設置し、本来のかねは江華歴史博物館に移し展示しています。 高麗時代の臨時宮殿高麗宮址、いかがでしたか?高麗時代、モンゴルに攻められたときの臨時宮殿となった高麗宮址。すでに高麗時代のものは、なくなってしまっていますが、高宗・元宗が政治を行ったこの場所を訪ね、思いを馳せてみるのもいいのではないでしょうか! |

